資料調査報告(No.12) : 2014年6月発行「フランス人の見た幕末・明治初期の和船」

No.15-2 江戸湾の漁船 1868年 ミシシッピ湾(註15-1)で計測

この様な多くの船の竜骨は波打って、英仏海峡のある種の船と似通っており、喫水が浅いだけに、船首よりの水線面は比較的幅広である。
構造は堅牢で他の日本の船と似ている。 甲板は如何なる部分も水密ではなく、歩行を容易にする爲の歩み板があるのみである。

航行速度が速い場合は、舵は45度の角度になるまで索を伸ばすと、一種の舵櫂となる。 これ等の船は良く走り、風に良く乗る。

2隻の船で30mの網を曳き、網の一端を一船が前進しつつ曳く間に、他船が後退しつつ網の他端を曳き弓形に展張する。 帆は真帆(帆を船に直角に張ること)の状態で船は流れに任せる。 乗組員は2~3人と見習1人である。 彼等は艪を静かに漕ぎ、一本櫓の場合でも、シナ人と同様に日本人も決して艪を中央(センター・ライン)に置かないのは注目に値する。

最少の船は10mの長さしか無いが、その割には幅広である。 小さな帆は殆ど使われず、大きい帆は後方に位置し過ぎるが、巨大な舵により航路を保つことが出来る。

保存委員会 註15-1

A. Parisの図中にBaie du Mississipi(ミシシッピー湾)とあるが、これは1852年に来航したアメリカのPerry艦隊が、現在の根岸湾をこのように名付けたことによる。

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