資料調査報告(No.12) : 2014年6月発行「フランス人の見た幕末・明治初期の和船」

仏文和訳 : 小林宏行(海事代理士)
監修 : 石津康二(造船資料保存委員会)
技術解説・とりまとめ : 小嶋良一(造船資料保存委員会)


まえがき この報告の経緯

フランス人が見た幕末・明治初期の和船  ― F. E. Paris 著“Souvenirs de Marine”より ― 

François Edmond Paris (1806 – 1893) はフランス ブレスト生まれの海軍中将で文筆家でもある。3度の世界一周航海に基づき、多くの絵や図面等を収集し、それらはパリの海事博物館に収められている。 海軍退役後は海事博物館の館長となり、同館の海事関連資料の充実に大きく貢献した。 

Souvenirs de Marine の巻頭言 海事記録の保存 (1871 年より蒐集開始)

此の海事記録のコレクションは、現在の船舶や、忘れ去られ易い過去の船舶の記録保存を目的としますが、蒐集に当たっては正確性を第一義とし、一般受けし易いが不正確な絵画の様なものは残念乍ら省きました。 これ等の正確で完璧な資料や各図面は、後年に於いて船を再建造出来るほどの正確なデーターを有し、普通は失われ易い文献類も含んでいます。

No.11 及び12 日本、“ふね”と称される船舶 1868 年 神戸に於いて計測 フランス海軍大尉 A.Paris

帆柱はシュラウド(横索)無し。 2本の小帆柱は固定されず脱着可能。 大帆柱は根本寸法 1.18m 角、20m の高さ位置で0.8m 角、長さは32m。 断面図は不揃な長材を束ねる手法を示すが、船首側の木材は堅木である。

No.11 帆柱立て浮かした帆柱を太い根元を先にして船尾へ導き、太い綱を掛けて船室内のキャプスタン(轆轤)で捲き、船尾の大梁(床船梁)に取付けたローラーの上に根元を乗せる。 このローラーを孔に噛ませた梃で廻すことにより、帆柱を引揚げる。

No.13 日本の櫓 1868 年 大阪の川で計測

日本人や中国人は櫓櫂類を櫂(オール)として漕ぐよりも、むしろ櫓(ろ)として使用しており、 その機構は極めて優れている。 

No.14 ワジマ候の紋章のあるガレー軍船 1868 年 大阪の川にて計測

軍船(御座船)は大砲を欠いたガレー船で、推進力は人力に頼り、数世紀間、海上の戦闘にのみ使用されて来た。 これ等の御座船が内海の平水面に於ける闘いの栄光を持っているのは確かだが、御座船は廃れつつあり、細部も含めて過去の記録として保存するのみである。

No.15-1 小さなガレー船 1868 年 横浜にて計測

この種の小ガレー船は大君(徳川将軍家)の所有である。 構造は極めて軽くかつ入念なものであり、部材の組立て方は単層甲板の他の船と同様である。 延長された船尾は平版で囲われて、旗が掲げられている。

No.15-2 江戸湾の漁船 1868 年 ミシシッピ湾 (註 現在の根岸湾) で計測

この様な多くの船の竜骨は波打って、英仏海峡のある種の船と似通っており、喫水が浅いだけに、船首よりの水線面は比較的幅広である。 構造は堅牢で他の日本の船と似ている。 甲板は如何なる部分も水密ではなく、歩行を容易にする爲の歩み板があるのみである。 

No.16 北の船 1869 年 函館で計測

北の船は 南の船と同等な原理に従って造られており、内容は船の板図に示された詳細を参照するしかない。 北の船はより小型で、帆柱は比率からして1/5以上短い。 帆柱は四角の角材で、側面は0.8m で長さは25m、根元だけは割れを防ぐ為にタガを嵌めている。

No.23 日本ならびコーチシナのボートの寸法、諸数値、構造などの注記

日本の船舶構造の一般的な特徴は、他の国のものとは本質的に異なっており、下記の様に要約し得る。 肋材(フレーム)が無いこと。 外板は並列に配置された板材がかすがいと釘で矧ぎ合わされた構造である。 

ページの一番上へ