品質管理の勲章・デミング賞に挑戦した造船所

品質管理の勲章・デミング賞に挑戦した造船所
-船の品質管理とは何かを追究した活動の記録-

著者: 高柳 昭(三菱神戸事務部門OB)
背景解説:藤村 洋(造船資料保存委員会)

まえがき

藤村 洋

戦後の日本、廃墟の中から立ち上がろうと様々な努力が始まったが、工業界ではアメリカのやり方を学ぼうという機運が強かったのであろうか、英語の略号の新活動が流行っていた。
藤村が入社した1953年頃は「TWI=Training Within Industry」や「OJT=On the Job Training」などの言葉を良く聞いた。しばらくして流行ったのがQCサークルとTQCであった。前者は職場場内の小集団活動、後者は反対に全社的品質管理活動のことである。

さて、ここで言うデミング賞はこれら品質管理に関する勲章の一つである。アメリカの統計学者であるW.E.Deming博士は戦後GHQの招きに応じて日本の国勢調査に協力するため来日し、引き続いて企業の品質管理の指導に当たった。戦後間もない1946年5月に設立された日本科学技術連盟は、同博士の著書の印税をベースとして品質管理に関する賞を設け、これを「デミング賞」と名付けた。品質管理に関する研究なども対象としたデミング本賞と企業などの品質管理の実施状況を顕彰するデミング実施賞の二つの区分がある。

品質管理は会社全体で取り組むべきであるというTQCの理念から、実施賞の対象は会社全体とされてきたが、総合重工業会社のような複数製品に取り組む企業では事業所単位の顕彰も必要であるということで1972年に新たに事業所賞が設けられた。

この事業所賞に挑戦したのが三菱神戸造船所であった。そして挑戦を決意してから3年後、1973年8月に審査を受け11月6日に受賞した。一品受注生産型の事業所として初めての実施賞受賞であった。
一般にデミング賞受賞のことは会社自身も大いにPRするし、業界でもそれなりに話題になるのが通例であった。しかし、三菱神戸の受賞のニュースは造船界ではほとんど話題にならなかった。これは、請負契約による一品受注生産方式の事業における品質管理はどうあるべきかについて品質管理の世界でも模索の段階であったこと、従ってそれまでの受賞企業はほとんどが量産型企業であったことなどが理由であると思われる。言い換えれば、造船においては“船の品質とは何か”ということすら明らかになっていなかったことを意味する。

三菱神戸の挑戦は、造船部門の立場で言えば、船の品質とは何か、造船における品質管理はどうあるべきかを追究するための活動であったと言える。この貴重な活動の記録を後世に伝えておきたいと言う願いをもっていたが、今回三菱神戸においてデ賞挑戦の旗振り役を果たされ、さらにその後も日科技連の活動に加わられた高柳昭氏から当時を回顧する貴重な記録を投稿頂いたので、これを掲載させて頂くこととした。同氏は、元来は資材部門におられたがTQC挑戦決定後乞われて企画部門に移られそこで”TQC旗振り役”を果たされた方である。

以下、高柳様の原稿をご覧頂きたい。文中「神船」とあるのは「三菱神戸造船所」の略称である。また個人名は伏せ字とした。さらに、原稿には高柳氏がQCサークルの研修旅行団の指導者として乗船された三菱神戸建造の研修船についての船客の立場からの評価が含まれている。これは貴重な記録である、すなわち造船所は顧客と言った場合一般には船主を想定し品質評価も船主工務陣から聞くのが普通である。しかし、研修船やクルーズ客船では真の顧客は乗船されるお客様である。そのことを造船所は忘れがちである。高柳氏の率直なご意見は傾聴に値する。

「神戸造船所におけるデミング賞挑戦の思い出」

高柳 昭

初期のTQCについて

◇ 「三菱神戸造船所商船事業の回顧」によればS39年にTQC会議が設置され、企画室企画課に品質管理係が新設されたとある。検査部が造船と造機に分割されたことに伴い、所の窓口を担当する機能が企画室に移管されたらしい。この頃の事情は知らない。QCサークル近畿支部の記録によると、同支部の発足がS39年でTYさんとKTさんが、当所の幹事として発足に参画している。初代の品質管理係長がTYさんで、私がQCサークル近畿支部の幹事を引継いだのがS42年度からである。私はそれまで資材管理課にいた。

◇ S41年YK氏(副所長)が本社、三製を経て神船に戻ってこられた。早速「事務部門でもQCとマテハンが重要、勉強せよ、実行せよ」という主旨の指示が出た。まもなく私の直接上司である資材部長、資材管理課長が揃ってS社に出向となった。TQC推進組織も強化されMO氏(課長)、HR氏(係長)さらに事務部門からも参画すべしということで私も企画部(主任)へ移り、TK(原価課長)が兼任でグループに加わることになった。当時方針管理という用語を使ったかどうか明確ではないが、YK副所長が診断者になり、部下の部長さんが報告する、私は時計係を命ぜられ、時間がくるとベルを鳴らす「発言やめ」となり講評も厳しく大変であった。
S42年YK副所長の本社転任によりこの行事は短期間で終った。残念ながら効果は出ずTQCアレルギーだけが残ったようだ。しかしTQCを推進するという所の方針(タテマエ?)は変更されなかった。布留川先生の指導は続き、TQC推進グループは縮小された。
やがてTYさんは労組に移り、MOさんは船渠課長で外業部に戻り、企画部直属品質管理係長として私だけが残り“2階に上って梯子を外された”形になった。

TQC休眠時代

◇ QC事務局のことを一般に“旗振り役”という。製品の品質に責任を持つのではなく、TQCが浸透するよう方向づける役割りである。自分で直接実施できることは少ない。そこで所内に抵抗の少ないQCサークル活動と改善提案運動を盛りあげることを主な業務とした。TQC活動を、方針管理を主軸とする「トップダウン体制」とこれを支える土台となる「QCサークル活動」2本柱とするなら、この土台づくりを進めたわけである。「5現主義」とか「まず現場で事実を見よ」とかいう格言があるが、QCサークル活動の活性化によって「手直し」「手待ち」「手戻り」を具体的につかみ、その要因を掘り下げる土壌ができてきた。

◇ 計量管理通産大臣賞
神船全般の計量管理を受持つグループが企画部に移り直属の品質管理係で担当することになった。事務屋の私が担当するのであるから当分の間のショートリリーフということである。実務は計量管理士であるAG技師が掌握しているので心配不要とのことで引受けてみると幸運というか通産大臣賞が貰える可能性があることが分った。期間は1年しかない。
主な計画は

  • 設 備 ・・・・・・ 恒温室設置と測長機の購入
  • 履歴台帳 ・・・・・・ ホールソート式台帳(整備ずみ)
  • 標 準 ・・・・・・ 検査要領、など諸標準の完備

など分担をきめ突貫作業を行い、S43年度受賞申請することができた。

受賞式にはKM企画部長に出席していただいた。それ以後来所されたお客様から「神船の品質管理は」と質問された際、まず計量管理室にご案内してQCの基礎となる計量管理の実情を説明し、納得していただく事例がよく見られるようになった。旗振りだけのQC事務局から一歩前進できたと思う。

デ賞挑戦の動機

◇ 指導講師の布留川靖先生(広島大教授)のハッパ
「水野滋先生(東工大教授)の指示で永年神船を指導してきたがさっぱり成果が出ない。世の中には“熱し易くさめ易い”という例は多いが、“神船は熱しにくく冷めにくい”めずらしい事業所だ」「本気でやるか、それとも止めるかハッキリして欲しい」と爆弾宣言が出た。だらだら続けても成果は出ない。本気で取り組めとのハッパである。(さあ困った)

「神船はP/L教だ」
P/L(損益)は勿論社外秘(所内でも秘)であるから先生に説明することもお見せすることもない。しかし永年の縁で管理者が日常P/Lを気にしていることはよくご存知である。そして「P/L教だ」と指摘される。P/Lを変化させる要因がQCにあるという意識が薄いというご指摘である。

◇ 神船に内在する問題
鳥の目、虫の目という言葉がある。虫の目で現場をしっかり見ることはQCサークルが実行して、「手待ち」「手戻り」「手直し」を掘り起し、改善すべき分野が明瞭になり出した。今一方の鳥の目である、神船を鳥の目で見ようにも資料があるわけもない。そこで外部講師のご指摘や社外のQC仲間から得られるガサネタなどから気になることを抽出してみた。

三菱は打たれ強いボクサーだ

新造船やボイラーなど基盤製品でなく、生産期間の短い中量生産のことである。三菱は資金力があるので打たれても打たれてもダウンしない。口の悪いQC仲間の話であるが専業メーカーと比較すると、思い当るふしがある。例えば尼崎にヤンマーディーゼルの工場がある。同社はデミング賞をとったので、管理方法の発表や工場見学の機会もある。一品受注生産になれた当所のスピード感と全く違う。

ある課長に聞くと「当課の組長の仕事の大半は部品集めで、部品を揃えて「さあ組め」という状態なら1/3の時間で組める」とのこと。生産管理の一環としての資材調達のしくみを根本的に変えないとダメと言うことになる。

ヤンマーの山岡専務(オーナー)は特に厳しく、クレーム処理で出張した社員に「クレームが解決できて半人前、1台追加で売って来て一人前」と言っているとのこと。建設機械(特にユンボ)では小松が猛スピードで接近してくる。当社のトップの座は危いなど、TQCによる体質改善が必要で、しかも時間がない状況で対策が急がれる。

また全く別の次元の問題だが、原子力では美浜1号の建設が始まり、高レベルの品質保証に取り組み中ということもある。神船は多難であると言える。以上のような状況を総合してデ賞挑戦への準備を進めることが決められた。

デ賞挑戦の準備

デ賞挑戦を宣言した以上失敗は許されない。強い反対も多いと予想される中で、やり抜くだけのエネルギーを引出せるだろうか。

デミング賞実施賞に事業所表彰という制度がない。この問題については神船が挑戦するのであれば、新しく制度を作って対応しようとの水野滋先生の意向ありと仄聞した。制度まで作って貰って逃げるわけにはいかぬ。S47年デ賞委員会で事業所表彰制度が新設された。「利益責任を持ち、営業・開発・設計などの機能を持つ事業所」がその条件である。

本社の意向は……TQCを推奨している立場上反対はないはず。しかしデ賞となると積極的な支援は期待薄。お手並み拝見といったところか。(SM副社長(社長室長)からは事業部・事業所制について助言をいただいた。またかつてTQCを進められたYKさん(当時自工役員)にはブリヂストン見学の労をとるなど援助していただいた。)

目標期間をどうするか。短期決戦でないとダメであることは当然。しかしムリをしても3年はかかる。でも3年先ではエンジンがかかるまでのロスが予想される。そこで2年後と決めることになったが、このようなことは手の内の話で、目標「ある日突然デ賞に挑戦」が示達された。

推進本部の人員強化 造船工作部から企画部へBB氏(企画部長)、NK氏(次長)、IN氏(主務)が揃って転任、強力な推進が可能になった。

品質表について

布留川先生から「デミング賞を獲得するには光りものがいる」とよく言われていた。日本の品質管理の進歩に貢献する工夫を光りものというらしい。

船舶部門で品質表のアイデアが生まれ、他の部門(鉄構・火力・ディーゼルさらに原建)でも品質表が工夫された。このような動きは「全所一丸となって活動している」と審査の際評価されることに連なっている。

さて、ある先生から「最近先生方の会合の際、品質表という用語をよく耳にするようになったが、早く発表しないと神船が開発したことが消える惧れがあるよ」と忠告された。そこでS47年の品質管理大会に発表申込みをし、“品質表の構想その(1)~(2)”と6件の発表をした。この発表は、大会参加者の関心を引いたようで聴講者がどっと来場した記憶がある。なお発表に当り品質表の定義が必要となり、客先の求める真の品質とこれを実現(図面、仕様書など表示)する品質の二元表とした。この報文はS48年の品質管理大会でSQC賞を受賞し、神船の品質表として認知されることになった。

品質表は作成目的と作成範囲を明確にしないと、作成の手間が大変で設計者の頭の整理には役立ったが、QAに役立ったのだろうかの疑問が残る。品質表で検討したことによって、設計変更の減少やクレームの予防に貢献できたなら幸せである。

注:
S48年品質管理大会で発表した下記2つの論文のコピーを収録した。資料の引用元は、日科技連機関誌「品質管理:Vol.24 5月号 1973年」である。

前者で神戸造船所のTQC活動の概要と品質表の構想を知ることが出来る。
後者では品質表アイディアの創始者である造船設計部門における品質表の具体的利用状況が述べられている。またP70の図・5では造船設計部「品質保証体系図」が示されており、品質表と共に重要なツールである「方針管理」の筋道が判る。

神船デ賞挑戦の影響

◇ 神船のデ賞挑戦が社内や他社にどのような影響を与えたか私見をまとめてみたい。

社内では、当所と同じ布留川先生のご指導を受けていた三製が若干関心を示した以外は、全く無関心であったと思う。また、デ賞挑戦の苦労話は管理者個人間で本社や他事業所に伝えられ、そのような苦労はまっぴらご免という低次元の話題に止った。
他社では、デ賞を指向していた日本製鋼(広島)、久保田鉄工から調査を受けた記憶がある。また同業の日立造船(有明)からも来所質問を受けたが反応は不明である。
同業ではないが、巨大ゼネコンの竹中工務店もTQM*を指向していたらしく、調査を受けたが当時はまだ話がかみ合わなかった。(*Total Quality Management)一方、TQMの指導、審査に当っておられる先生方は一品受注生産型企業の指導について具体的な方向を確信されたようである。また大型公共工事では、一般に設計と製造が分離発注されているが、品質保証の主体や責任があいまいであることについて、QA指導者として危機感を持たれたようである。

◇ 従来のTQCMが主として多量生産(自動車、家電など)を中心に発展してきたが、当所の挑戦を機に、一品受注生産の分野に拡大していくことになったと感じられる。その後のデミング賞受賞企業(巨大企業抜粋)をみると、新分野拡大のきっかけになったと自負できる。

1973年 三菱重工業(株)神戸造船所 (事業所表彰)
1979年 (株)竹中工務店 (実施賞)
1982年 鹿島建設(株) ( 〃 )
1983年 清水建設(株) ( 〃 )
1984年 関西電力(株) ( 〃 )
1995年 石川島播磨重工業(株)原子力事業部 ( 〃 )

-(財)日本科学技術連盟 創立五十年史より-

 

参考文献

  • (財)日本科学技術連盟 創立五十年史 1997年8月発行
  • QCサークル近畿支部 支部創立50年のあゆみ 2014年9月発行

余話

品質表から品質機能展開へ

デ賞挑戦も一段落したころ、赤尾洋二先生(山梨大教授)から「品質表について知りたい」との要請をうけた。当所がデ賞挑戦時、赤尾先生は海外在住で当所の指導にも審査にも加わっておられない方である。水野滋先生から品質表を研究するよう指示があったとのことである。その後日本科学技術連盟で赤尾先生が主査の研究会が設置され、その結果をまとめ水野滋・赤尾洋二著 品質機能展開 1978 日科技連出版社が発刊された。この研究会には残念ながら当所からは参加していない。

また同書の英語版も発刊されQFD*はアメリカ、中国など広く発展していく。(*Quality Function Deployment)
それから20年程後のこと、突然筆者のところへ新キャタピラ三菱社から品質表について講演するよう依頼があった。(QFDをやれとキャタピラ・本社が指示するので……)とのこと。品質表が神船で生れた経緯を説明したところ“神船発がアメリカに渡り忘れかけたころの里帰り”と分り一件落着となったそうである。

注:
品質表が品質管理の世界では有名になり、様々な方面で広く応用されるようになった経緯は高柳氏から提供された日科技連ニュースのNo.71(2009年1,2月合併号)の記事に紹介されているので、コピーを掲載する。

研修船に乗船して

-QCサークル洋上大学のこと-

神船ではS40年ぶらじる丸・あるぜんちな丸に始まりS56年新さくら丸に至る研修船への改造工事(P.377)さらに新造船ふじ丸(P.178)と続く客船の歴史があす。たまたま私はその全ての船に船客として乗船した経験があるので、その印象を述べてみる。

日本科学技術連盟では1971年(S46)出航のさくら丸を第1回とするQCサークル洋上大学と称する研修船を毎年1~2回を編成しており、私は講師(団長1回、副団長2回を含む)として10数回乗船する機会に恵まれた。

スケジュールは横浜(後半は東京・晴海)に集合・乗船し、台湾(基隆)に寄港、次に香港着港、折返し出発港に帰船という航海である。

中国情勢の変化で台湾を省いた年もあるが、約2週間の船旅になる。外国船はまれで大半はOSK(大阪商船)所有の神船建造船である。

団員の大半は始めて太平洋を渡るのですから、めずらしい経験である。一般に船について関心のあるのは安全性・居住性そして食事である。

  1. (1) 安全性
    乗船後直ちに行われる。救命具を着装し、割り当てられた救命ボート前に集合する避難訓練でちょっと緊張するが、好天が続くと安全のことは忘れがちである。
    しかし、時化に遭遇すると不安になる。夜間バリバリと船体が折れそうな音が繰り返され、プロペラが空転する音と交互に襲ってくると気持ちが悪いどころではない。
    最初から客船として建造されたものではないので、止むを得ないが、騒音のように音量を数量表示し、この程度は不安なしと説明できたらよかろうなど考えてしまった。
  2. (2) 居住性
    造船所の責任ではないが水面下の客室はあまり愉快なものではない。クルーズ船と異なり料金が画一であるから、不公平感が出る。(これは主催者側の問題であろう。)
    不満が多いのは冷房である。「神船で造った船だぞ」と自慢できないくやしさ。艤装品のQAはどうなっているのか考えてしまう。空調機の問題かそれともダクトに起因するのか、検査で改善点が分るのかなど考えしまう。横ゆれについては比較する体験がないので、良い悪いを船でなく天候のせいと見るようです。クルーズ船になると評価が厳しくなるであろう。
  3. (3) 食事
    約2週間船内で食事をするのであるから関心は強いようである。個人差はあるが評価はよいようである。(外国船では口に合わない人が増える。)食事は主に運航側の問題である。しかし船内でめし、パン、豆腐……まで作るのであるから艤装品のQAをどう考えるのか気がかりであった。

あとがきと考察

藤村 洋

一品受注生産における品質管理とは (造船の場合の特徴など)

高柳氏の説明にもあるように、神戸造船所はデミング賞受審に当たって“光り物”として品質表を掲げた。品質表は特定のチャートではなく、”品質“という抽象概念を機能という具体的な概念に2元表という方式によって結びつける”考え方“すなわち思考法である。従って発祥地の造船設計部の中でも何種類もの異なったタイプの品質表が出来たように、品質管理の世界に取り上げられたのちは様々な2元表が出来ていった。永井一志氏の解説に依れば第3世代の品質表は7つの大きなタイプに分けられていると説明されている。そして最も新しい応用は製品開発の段階での応用になっていると解説されている。

造船屋が品質表を考え出したのは反骨精神の産物である。それまでの品質管理は「統計的品質管理」という手法からスタートした運動(Movement)であった。しかし、一品生産の造船業では統計が取りにくい、統計だけが品質管理ではないだろうという反骨精神から造船で品質管理をやるとすればどの様に考えたらよいのかと真剣に議論した。その結果が品質表という思想になったというべきであろう。結果としては、そのことが一品生産の品質管理を考えるきっかけを先生方に提供したのであろう。高柳氏のデータに示すとおり、この後一品生産型企業のデミング賞受賞が増えた事実がそれを物語っている。ただ。肝心の造船所の中では、この様な“概念”であったから、デミング賞が終わったら尻切れトンボになってしまったのは、多忙な生産工事の合間を縫って取り組むプロジェクトであったので仕方がないとはいうものの残念であった。

ただ、効用がなかったわけではない。効果として残ったのは、それまでは品質もしくは機能は設計者の頭の中で潜在的に認識され、図面や寸法表に表現されることに依って伝えられていたのが、2元表と言葉で表現することによって一層明確に認識され伝達されるようになったことである。今日「見える化」という考えが流行っていると聞くが、品質表では言葉化もしくは文章化して明確に認識するようになった、いわば「見える化」の先取りであった。

同様に言葉・文章化で問題を認識し、方針を伝達するように設定されたのが「番船管理」と呼んでいた船毎のプロジェクト管理の体系である。これもデミング賞の過程で方式が定まり品質保証体系図に組み込んで説明された。品質管理の世界では「方針管理」という言葉が有名であるが、これは一般には全社から各部課に至る部門全体の方針の統一管理を意味しているようであるが、造船のように複数のプロジェクトが並行して流れるような業態では部門管理以上にプロジェクト管理が重要である。この番船管理体系は身に付いた作法として長く活用された。

具体的には、受注段階で、その船の建造上問題になりそうなポイントを書き出した「問題点リスト」を作成し、これを「シフト会議」で実行部隊に伝達する。次にこれを克服するための方策が各部課ごとに検討され、それを統合する「建造大方針検討会」が持たれる。その決定に従って部門長から「建造大方針」が示達される。以降、毎月1回番船管理会議が持たれ「問題点のフォロー」「他部門との連絡」が行われるという方式である。完成後は「反省会」を持ち後の船にフィードバックし、再発防止を図る。まことに泥臭いやり方であったが、これによって複雑な改造船や大型コンテナ船の短工期の主機換装工事のような難工事をこなすことが出来た。デミング賞の効果と言うべきであろう。

この様にして神戸造船所のデミング賞挑戦は、事業所自身に管理のレベルアップという効果を与えると共に日本の一品生産事業の品質管理レベルの向上に貢献することが出来た。
知られざる造船所の隠れた貢献であった。

これからの造船品質保証(QA)の予兆

一品受注生産品である船舶の品質保証が一般の量産型の製品のQAと根本的に違う点は次のようなことである。

  1. (1) 試作と実物試験が行えない
    よく似た大型運搬システムである航空機の場合は2,3機の試作機を作り地上での負荷試験などを行った後、試験飛行を繰り返し、この段階で検査官庁の審査を受けて使用許可証明を貰う形で基本的な安全性に関するQAが成り立っている。船舶の場合一品ごとに設計を行っており、試作は行われない。
  2. (2) 環境条件もしくは外力が定量的に決められない
    自然界とくに空気と水の2相の流体の境界面で運用される船舶の場合、生涯で遭遇する外力を定量的に想定することは極めて難しい。

これらの特徴が船のQA体系を特徴づけている。すなわち、発注者との間で環境条件を想定し、その合意された環境条件下での性能、安全性などを保証する、条件を超えた環境下でのダメージは保険という別の場のコンペンセーションでカバーする、そこに船級協会というビジネス主体が介在する。これは構造を主とする堪航性に関するQAである。その他の品質に関するQAは1年間の保証期間とその間のダメージの補償という形で行われる。造船所はこれらのダメージ、クレームをフィードバックして、次船の設計に反映させる形で長期のQA体制を整える。これがビジネスという場でのQAの話である。いわば「契約品質保証」とでもいうべき場面の話である。

また、復原性など安全に関する品質がある。これは契約というよりは法規制の場である。
この品質は船舶自体の性能の他に積み付けなど運航者の配慮すべき問題が介在する品質である。運航者に対するインストラクションの供与、測定器の装備など質の違う問題がある。

さらに、近年全く違う場でのQAの話が出てきた。言うなれば「エコ品質保証」とでも言うべき問題である。海水汚濁の防止、温室ガス排出の規制、騒音対策などである。
そのほとんどが条約もしくは国内法による法規制の形で品質レベルを要求される。注文主との話し合いという”余地”のない造船所の自己責任によるレベルの高いQAが要求されるようになってきた。

これら各種の品質の達成度は現在では通常試運転における諸成績によって判定されている。しかし、試運転は通常静水面で短時間行われるに過ぎない。これによって実海域での長期に亘る性能が満足すべきものであると言い切るのは難しい。

この様に現行の船舶のQA体制には様々な根本的問題が内在している。現在は商習慣としてそれを呑み込んでいるということであろう。

しかし、様々な技術進歩がこれらの問題の解明を可能にする予兆を示している。
1つは実海域に関する研究の進歩である。2つ目は船体自体を計測器として様々な品質に関する情報の採取が可能になってくること。3つ目は船陸間の通信の自由度の拡大により船体で採取した大きなデータの送信が可能になるであろうこと。4つ目はいわゆるビッグデータの解析などで多くの船舶が採取するデータの解析が可能になるのではないかと思われることである。

これらの技術進歩が達成されれば、現在は申告の重量ベースに計算で予想している船体の応力が、結果としての実数値として計測可能になり、船体損傷を避ける方法を陸から指示出来る。また波浪中の船体運動、船殻の挙動などがリアルに判るようになり避航、バラスト調整などの陸からの指示が可能になる、多数の船舶からの船体運動データと海象データの解析から実海域における船体運動の解明が進むなどの効果が上がるであろう。

これらの結果を利用すれば船舶の品質の立証がよりリアルになると予想される。それは船舶の品質保証体制の大きな進歩となるであろう。

この様に考えると造船のQAにはまだまだ研究する余地があると言わねばならない。この小論考がそのための参考になれば幸いである。

参考文献

  1. 1(財)日本科学技術連盟刊「品質管理」誌 Vol.24(1973)5月号
  2. 2 同上 「日科技連ニュース」No.71(2009)1,2月合併号
  3. 3「和田の岬に湧く汐は・・三菱神戸造船所商船事業の回顧」(非売品)2013年6月刊
  4. 4 (財)日本科学技術連盟 創立五十年史 1997年8月発行
  5. 5 QCサークル近畿支部 支部創立50年のあゆみ 2014年9月発行

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